【秘密結社】izimedarake

いじめに関する記事を書いています

正義の味方になりたくなるには?

先日、私はとあるスーパーで、来店したお客様に粗品をプレゼントする代わりにアンケートに答えてもらうことをお願いする仕事をした。
「アンケートに答えて頂きたいのですが」と私がお願いすると、半分くらいの方々は「いま忙しいので断ります」とすぐに去っていった。あぁ残念と思うと同時に、私も突然アンケートをお願いされたら同じような反応を示すかもしれないとお客様の行動に共感する部分もあった。だから断られることは嫌とは感じなかったし、当然のようにも感じた。だから、私はお客様から良い反応を頂けないことには何の疑問も感じなかった。

だからお客様から断られても気にせずに、どんどんいろいろなお客様に声をお掛けしていった。そして8時間の勤務が終わる頃には300人分のアンケート用紙の項目が全て埋まった。私は、断る人が半分近くいるのにも関わらず、300人もの人がアンケートに答えてくれたことに大変驚いた。

なぜそんなことが起きたのだろうか?
実はすぐに断る人もいる一方で、とてもにこやかに人当たりよくアンケートに答えてくれる人も半分くらいいたのだ。しかも私がもっと驚かされたのは、私が連続して断られた様子を見ていたお客様ほどアンケートに快く協力してくださる確率が高かったことだ。なかには「あなたも大変ね」「ご苦労様」と労いの言葉を掛けてくれる方や「頑張ってね」と応援の言葉をくれるお客様も何人もいらした。私にとってはとても不思議な経験だった。

なぜ何の得もしないのに私の味方をする人があんなにもいたのだろうか??

私は自分がもしもお客様だったらたら、どう感じるかを考えてみた。

もしも私がお客様の立場だったとしたら
余裕がないときはもちろん「いまはごめんなさい」とすぐに断ってしまうと思う。
一方で、仮に私が精神的にも体力的にも時間的にも余裕があるときに、アンケートに答えてくれる人を探している人を見たときはどう感じるだろうか??
とりあえず、ぶっきらぼうにアンケートを断るほかの人たちのことを「冷たい人たちだなあ」と感じるだろうし、冷たくあしらわれている人のほうの味方をしてあげたくなる気持ちにもなるかもしれない。

そう思い至ったとき、私は人はもしかしたら気持ちや体力、時間などに追われてさえいなければ、基本的には正義の味方になりたい生き物なのではないかと考えるようになった。
きっと本来、人は人に優しくすることが好きな生き物なのではないだろうか。

そうだとしたら、いじめなどの人を攻撃してしまう行為は、人に優しくしたくなる条件が揃ってないときに起こるといっても過言ではないような気がする。

きっと私たちは自分が思っているほど、上手に自分をコントロールできない。
多分、正義の味方になりたくてもなれないときの方が多いと思う。
でも、だからこそ、普段から自分がどういうときに人に優しくできて、どういうときに人に攻撃的になってしまうのか、自覚的になることが正義の味方になりたくなる条件を揃えるための第一歩になるのではないかと思う。

By 茶子くん