【秘密結社】izimedarake

いじめに関する記事を書いています

高校の教師に「嫌い」と言われた話(1)

「私もあなたのこと嫌いだから」
これは、私が高校2年生のときに、担任の女性教師に言われた台詞だ

あの頃から10年以上が経ったいま
この件について、改めてふりかえってみたい

まず、この台詞が生まれる前の日にさかのぼる

この日、私は同じクラスの友人2人といつもと同じように図書館で昼休みを過ごしていた

「キーンコーン、カーンコーン」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、私たちは図書館の外に出た

そして、図書館から出てすぐの下駄箱のあたりにさしかかったときだった

突然、私たち3人を見つけた担任の女性教師がものすごい勢いで私たちに駆けより、激しく叱責してきた

細かい言い回しまでは覚えていないが
内容は「早く掃除場へ向かえ」というものだった

いま思えば
そんな些細な叱責は受け流せばいいのではと思ってしまうようなものだが
当時の私にはそれができなかった

なぜなら
この担任の女性教師に嫌われているのではないかと私は前々から疑っていた節があり
このときの叱責により、その疑いが確信へと変わったからだ

ちょっと考えてみてほしい
みなさんは、高校生の頃、昼休みのあと、どのくらいの歩みのペースで、掃除場へ向かっていただろうか
もしかしたら、昼休みの終了のチャイムが鳴る前には、掃除場に既に到着しており、チャイムと同時に掃除を始めていたというお掃除好きな方もいらっしゃるかもしれないが
実際は、昼休みのチャイムが終わったと同時に、掃除場へ向かって歩き出していたという方がほとんどなのではないだろうか

少なくとも、私は、チャイムが鳴る前に掃除場に到着しているという方には出会ったことがない
それに、当時の私は、掃除場に到着するのが遅いほうだったという自覚はないし、そのことを、ほかの同級生から注意されたこともなかった

だから
「早く掃除場へ向かえ」と担任の女性教師から激しく叱責されたとき
私は、ものすごく理不尽な指導を受けている気がしてならなかった

もしかしたら「ダッシュで行きなさい」と言いたかったのかもしれないが、それは危険なのではないだろうか
ただ、突然その女性教師から叱責を受けたため、当時の私たちは、結局、走って掃除場へ行く羽目になった

そして
掃除を早めに終えて
教室に帰った私は悲しい現場を目撃することになった

なんと
あの「早く掃除場へ向かえ」と叱責してきた担任の女性教師が
教室掃除をあきらかにサボって私語をしていると思われる生徒とは楽しそうに会話をしていたのだ

なぜ?
どうしてその子には「早く掃除をしなさい」と叱責しないの?

そんな陳腐な疑問は当時の私の頭には浮かばなかった
このときの担任の女性教師は、普段からこういう人だったのだ

クラスのリーダー格の生徒とは親しく付き合う一方
クラスのリーダー格の生徒たちから同じ人間として扱われていないタイプの生徒には
最低限の対応以下の接し方をする

いつものことだった

それで終わりにすればよかったのに
この日の私は、この件をこれで終わりにできなかった

あからさまな差別をしてくる担任の女性教師に腹を立てた私は
この日の学級日誌に、このときの出来事とともに、生徒によって態度を変えるのはやめてほしいという要望を書いてしまったのだ

すると、次の日
朝の会が終わると、担任の女性教師に「フルネーム&呼び捨て」で廊下に呼び出された私は

前日の私の書き込みにより
担任の女性教師がどれほど傷ついたかをヒステリックに伝えられたあと
学級日誌のような後にも残るものにはこのようなことは書かないでほしいと指導された上
冒頭の「私もあなたのこと嫌いだから」という捨て台詞を頂戴した

「あの、私は先生のこと『嫌い』なんて一度も言ったことありませんが」

そんな私の心の声を、口にする前に、担任の女性教師は言いたいことだけまくし立てると去っていってしまった

その日の1限目の授業中、私は涙を止めることができなかった

しかし
この件で私が泣いたのは、この日だけでは終わらなかった

その後
この件について、ほかの何人かの先生に相談したところ

ほぼ全ての先生から「◯◯先生がそんなこと言うわけないよ!」と信じてもらえず
そのうちの何人かの先生からは「◯◯先生に確認したけど、そんなことないって言ってたよ」と教えられた

クラス替えのない高校であったため、私はその後の1年半もこの担任の女性教師のクラスで過ごすことになった

以上が表題の詳細である

次回の記事では、あれから10年以上経ったいま、私があのときの担任の女性教師ならどうするかをまとめてみたい

By 茶子くん

現実逃避は心のケア

みなさんこんにちは、ごきです。

突然のカミングアウトですが
実は私、中学に入るまでお人形遊びがやめられない子供でした!

なぜかというと
私は昔から自分が考えた物語を、劇のように形にするのが大好きで、お人形遊びはそれを実現することができる唯一の遊びだったからです。

そしてなぜ、中学に入るまでこのお人形遊びが卒業できなかったのかというと
私は当時、学校で受けているいじめが原因で、現実と向き合いながら生きるのが苦痛でしかなかったからです。

そのため、大好きなお人形遊びで自分の妄想の中に入り込むことで、現実を忘れようとしていたのかもしれません。

実際、お人形遊びをすることは、自分でも驚くくらい、現実を忘れられました。

だから、もしこれを読んでいるあなたが
いじめやそれ以外の理由で、現実で生きるのが嫌になってしまっていたら
1人で没頭できるような趣味などで、自分の世界に入り込むことを、私はオススメします!

現実から目をそらすことも大切な心のケアだと私は思っているからです☆

by ごき

元気が出る川柳10句

皆さんこんにちは、ごきです。

私は前回の自分の記事で
ネガティブな気持ちから作った川柳を
10句ほど記載いたしました。

しかし
前回のようなネガティブ川柳だけでは
読んでも気持ちが重くなってしまうだけだと思ったので
今回は元気が出る川柳を10句ほど作成いたしました!

落ち込んでいる人は是非
これを読んで元気を出して下さいね〜☆

ーーーーーーーーーー

「早く死ね」
勝手に言ってろ
私は生きる!

苦しさと
共存してこそ
強くなる

「どうしよう」
考えるだけ
無駄な時間

いい加減
気づいてあげて!
青い鳥

落ち着いて!
やり返さなきゃ
君の勝ち☆

理不尽な
ところで生きる
必要なし!

目に入る
幸せ全て
集めちゃおう☆

疲れたら
動かなくていい
まず休もう

臆病な
心は誰もが
持っている

辛かったね
君は毎日
頑張ってる

ーーーーーーーーーー

by ごき

笑顔のない日

前回の記事で
もしも高校生の頃の私に会えるなら
「笑顔なんて取り繕ってまでしなくてもいいよ」
と伝えたいと書きました

今回の記事では
そのことについて
もう少し詳しくお話していきたいと思います

まず「笑顔」について!

笑顔の人はとっても素敵です

笑顔の人に会うと
私も元気になります

だから
「笑顔」は多いほどいいと
私は思っています

でも

ときには

「笑顔」になれない日もあると思います

悲しいことがあったとき
辛いことがあったとき

その場にいるだけで
逃げ出したいような気持ちになったとき

誰かに失礼な態度をとられたとき

そんなときは
無理に「笑顔」を作ることはありません

「笑顔」は素敵なものですし
「笑顔」が多いことは
とっても素敵なことだとは思いますが

「笑顔」が多い人が偉いわけでも
「笑顔」が少ない人が人間として劣っているわけでもありません

だから
「笑顔」になれない日もあっていいし

むしろ
ときには、あえて「笑顔」を作らないことが大事なときもあります

「笑顔」になれない日もあるからこそ
「笑顔」の価値が高まるとも私は思っています

だから
「笑顔」が少ないときも
「笑顔」になれないときも

自分を卑下したりせず

そんな自分を大切にしてあげて下さい

それが
本当に「笑顔」になれる瞬間を迎えるための大事なことのひとつであると私は信じています

By 茶子くん

ネガティブ川柳10句

こんにちは〜。
最近、記事を書くための体力と想像力が減少中のごきです。

今回からしばらくの間
私の記事では、私が作成した詩や川柳を中心に載せていきたいと思っております。

そして本日は、私が最近作った川柳を10句掲載いたします。
是非読んでくださいね〜^ ^

※とてもストレスが溜まった状態で書き綴ったものなので、ネガティブ注意です!

ーーーーーーーー

出かけなきゃ
ちょい待ちお腹が
痛い痛い

ドアの外
生きた心地
とてもしない

心から
「関わらないで!」
叫ぶ日々

外出れば
舌打ち、悪口
鳴り止まない

狂ってる…
どいつもこいつも
いじめ好き

幸せを
感じてた頃が
懐かしい

すれ違う
人間全てが
恐怖症

やられても
怒る気力が
ありません

誤解かな?
それとも本当の
悪口かな?

電車内
近くの人を
警戒し

ーーーーーーーー

by ごき

普通ってなんなの? 解説

今日は私が高校時代に書いた詩の解説です

『普通ってなんなの?』

私が高校時代に書いた詩です

下校途中の帰り道の電車で
知り合いにひそひそ話をされたことが引き金となり
悔しくて悲しくて
泣きながら書いた作品です

いま読んでも
このときは
とても辛かったことが
頭に浮かんできます

もしも
いまの私がこの頃の私に会えるなら
「普通になんてならなくていいよ」
「笑顔なんて取り繕ってまでしなくてもいいよ」
「我慢しないで。あなたは悪くないよ」
と、声を掛けてあげたいです

いや
悩んでいる人がいたら
そう声を掛けてあげることができる人でありたいです

いまの私も
まだまだ成長途中

以上
懐かしい思い出に浸っていた茶子くんでした

クラスに溶け込めない子は「問題児」?

素行が良く校則も守るが、クラスに溶け込めないA子ちゃん。

素行は悪く校則もほとんど守らないが、いつも友達と行動しているB子ちゃん。

もし皆さんが教師だったら、上記の2人のどちらを「問題児」だと思うだろうか?

まず校則を基準に考えれば、
B子ちゃんが問題児と思われるのはやや仕方のないことでもあると私は思う。
決められたルールを守れないのだから、仮に教師がB子ちゃんを問題児扱いしたとしても、裁きの基準が客観的である分、本人や周囲が納得できる部分もある。
では逆ににA子ちゃんはどうだろうか。A子ちゃんについては、校則を基準に考えるとB子ちゃんとは反対に全く問題のない子のように思える。

しかし、教師たちは、A子ちゃんみたいな子のほうこそ「問題児」として扱う場合が少なくない気がする。実際、 私はそんな教師たちを何度も見てきた。

どういうことかというと

私の思う教師たちからの目線では
B子ちゃんは素行が悪くても、一見クラスに溶け込めているようにみえるため「協調性」のある生徒にみえるが
A子ちゃんは素行が良くても、クラスに溶け込めていないため「協調性」のない「問題児」にみえているのではないだろうか?
と思う。

そして、上記のような理由で、A子ちゃんのような生徒を「問題児」だと決めつけている教師に、私は一言申したい。

「協調性がない」のも立派な個性だ!
と…。

なぜなら、クラスには20〜30人、またはそれ以上の生徒が集まっているのだ。
その中にはもちろん、クラスに溶け込める子もいれば、溶け込めない子だって当然出てくる。

だから、クラスに溶け込めていないだけで、その子を「問題児」だと決めつけるのは、おかしいのではないかと私は思う。

そしてついでに、私個人の意見を言わせてもらうと、そもそも苦手なことが多少あるだけで、生徒のことを「問題児」扱いすること自体間違っているのではないかと思う。
苦手なことは誰だってあるし、教師から「問題児」扱いされるなんて、誰だって嫌に決まっている。
私たち一人ひとりが互いの欠点を「個性」だと尊重し、受け入れていくことも大切であると私は伝えたい。

それが平和への第一歩だと私は思っている。

by ごき