【秘密結社】izimedarake

いじめに関する記事を書いています

「愛する」ってなんだろう

自分を愛せない人は
人のことも愛せないし
人からも愛されない…

この言葉は逆のことも言える

人から愛されるから
人も愛せるし
自分も愛せる

私も今まではそう思っていたが
昨日茶子くんさんとのメールでのやり取りで
目が覚めた

「人には秘密があっていいと思うし
秘密のない人間なんていないんじゃないかな?」

この一言が無かったら
本当の自分に目を逸らし続けるとこだった

何故ならその一言は私自身が自分の環境に対して言いたいことそのものだったからだ
また私はその言葉を聞き
自分も周りに同じことをしていることに気づいた

私はいままで家族から監視されて育った
改めて原点を辿ると
私の家族は、家から出ても
家族みんな繋がっているのが当たり前という風潮があり
監視するのが当たり前という環境にある

もっと言えば
他人のことでさえも
身内のように監視するのが当然という価値観がある

でも私から見たらその考え方が好きじゃない
「いつ、どこで、誰が、何を、どうした」
私の家族や私が育ってきた環境では
全部知らないとダメなの?ってくらい見てくるタイプの人が多かった
「情報はどんな小さなことでも共有しないといけない」
そう考えている人ばかりだった

さらに
私がその考え方に従わないと
「お前は間違ってる」と
私の考えを否定する言葉が返ってくることもあった

私はそんな環境が窮屈でおかしくなっていった

私は嫌な情報ばかりに過敏になり
「どうして自分は…」と自分の環境を嘆くばかりになった

そして私は自分自身が大嫌いになり
自分自身の受け入れを拒否するようになった

その結果、私は「私を認めて」と言う要求ばかりになり
否定されることを恐れるようにもなっていった
人に流され自分を無くし
人の目ばかり気にするようになった

そこでまた私はあることに気づいた
自分が誰のことも愛せないことに

「あなたは誰かのことを愛せますか」

私はこんな質問をされたら
「はい」と答えられる自信がない

いじめを受けた経験と
いじめをしてしまった体験を振り返り
「愛する」ってなんだろうと考える
スケルトンでした