【秘密結社】izimedarake

いじめに関する記事を書いています

人間として価値のない私は、女性としての価値はさらにない

例えば

もしもあなたが街を歩いていたとき
突然知らない男性から声をかけられたとする

その男性はあなたの容姿や雰囲気をひとしきり褒めたあと「これからお茶でもどうですか」とあなたのことをお茶に誘ってきた

こんなとき
あなたはなんて思うだろうか

「まあ、嬉しい」
「私に一目惚れして声をかけてくれたのね」
「どうしようかしら、うふふ」

こんな風に素直に思える人がいたら
私はすごく羨ましいと思ってしまう

こういう考え方ができる人は「自分には女性としての魅力がある」と確信できている人だからだ

多分、天地がひっくり返っても
私にはこんな考え方はできない

なぜなら私は
こういう場面で毎回あり得ないほどの「自分否定論」を展開してしまうからである

どういうことかというと

「お茶でもどうですか」と誘われた瞬間に
「女性としての魅力のない私のことをお茶に誘うとはどういう狙いがあるのだろう」という思考に陥る
そして1秒後には頭の中に
お茶をしている最中にこっそりとコップの中に危険な薬物を混入されて中毒になっていっていく自分の姿が浮かんでくる
そして気がついたときには
頑なに誘いを断る自分がいる

「あっ、分かりました。そんなに難しいなら大丈夫です」

どうにか相手の人の誘いを振り切って
もとの道を歩き出してから
私はいつも思う
「自分には女性としての魅力が絶対にない」という強烈な信念のような大前提さえなければ全く違った対応をしていたのではないだろうか、と。

私がこんな極端な考え方をするのはお茶に誘われたときだけに限らない

「よかったら連絡先を教えて頂けませんか」と言われれば
自分の連絡先が使ったこともないサイトに登録され、私のもとに大量の請求書が送られてくるイメージが瞬時に脳裏に浮かび
「今度デートしませんか」と言われれば
その日までに相手が用意した巧妙なシナリオに乗せられ、新興宗教の信者になっていく自分の姿が頭の中に浮かんでくる

甘くてとろけるようなラブロマンスの想像ができるような女性は
「自分には女性としての魅力がある」と確信がある人なのだということに
そんな確信が微塵も持てない私だからこそ気づくことができる

私はこれまでの人生の中で
「女性」として以前に「人間」としても尊重されず
「人」ではなく「汚い物体」同然の扱いを受けてきた経験が山ほどある

だから気がついたときには
自分に「人間」としての価値があることでさえ
信じたくても信じられなくなっていたし

まして自分に「女性」としての価値があるなんて
誰になんといわれようと
信じたり納得したりできないような人間に
私はなってしまっていた

多分、この「自分の価値を瞬時に否定した上で物事を考えていってしまう」という私の癖は
改善されるまでにまだまだたくさんの時間がかかると思う

まだまだ悩んだり、落ち込んだりすることはいっぱいあるかもしれないけど
私は自分のこの癖としっかり向き合って
まずは自分自身に「人間」としての価値を認めてあげられるようになっていきたい

そしていつかは
私もラブロマンスを夢見ることができる女性になれたら
いいなあ…と心の底では思っている

まずは地道に自分自身と向き合っていこう!

By 茶子くん