【秘密結社】izimedarake

いじめに関する記事を書いています

ちょっと待て! それはもしかして誤解では?

私は「誤解」という言葉が大嫌いだ。

なぜかというと
今まで私が受けてきたいじめのほとんどが
相手による「誤解」から始まっていることが多いからだ。

例えば
私のちょっとした日常的な動作を
「自分に対する攻撃」だと相手に思われてしまったような場合だ
私は大抵そこから嫌われ、いじめもそこからスタートしていった。

このいじめの恐ろしさは
いじめの原因である出来事が自分の「誤解」だという事実を、いじめの加害者が全く知らないということである。

そのためいじめの加害者は
「最初に攻撃してきたのはむこうだ!」
と思い込んでいるため
自分がやっているいじめも「いじめ」ではなく「仕返し」や「正当防衛」だと思い、罪悪感すら感じなくなってしまうのだ。


それに対し
いじめの被害者は
自分の何気ない行動が知らない間にいじめの原点になっているため
どうして自分がいじめられているのかも分からないまま過ごさなければならなくなってしまう。

そしてそれは
考えれば考えるほど苦しくなっていく…。


私の人生は
この「誤解」から始まるいじめが頻繁にあった
そして
「もう誤解されたくない!」
と強く思った結果
挙動不審になってしまい
その一つ一つのぎこちない動作で
更に「誤解」されやすくなってしまった…(T_T)


堂々としていれば「誤解」
挙動不審になっても「誤解」

私の人生は「誤解さん」が付き纏っているのだろうか…(^^:;)


確かに世の中
全ての人間が信用できるわけではないし
相手の動作を「誤解」してしまう経験は誰にだってあると思う。
もちろん私も…。

こんなふうに
誰にでも「誤解」してしまう可能性があるからこそ
中には物事を「自分に対する攻撃」と「誤解」してしまう人だって少なくないハズだ。

だから
誰かに「攻撃された」と決めつける前に
「ちょっと待て! それはもしかして誤解では?」
と、よ〜く考えてみて欲しい

ほんのちょっとでもいいから
立ち止まって考える習慣を身につけることが私たちには必要なのではないだろうかと私は考えている

by ごき