【秘密結社】izimedarake

いじめに関する記事を書いています

貧困は社会的ないじめ 恵まれてる人の基準を標準にしないで

「同類になりたくない」

これは私が中学生のとき、それまで仲のよかった友人のCさんに言われた言葉だ

その日、私は学校で出されていた宿題を期限以内に終わらせることができなかったため
部活を休み、宿題の課題に取り組んでいた

Cさんは、生徒会の副会長などを務めるほどの優等生で、当然、宿題は期限以内に提出し、部活動にも出席していた

実はこの出来事があるまで
頑張り屋さんでしっかりしているCさんのことが私は大好きで
憧れさえ抱いていたのに
この日以来、私はCさんのことを好意的に受け入れることができなくなってしまった

なぜなら
この一言が私の全てを否定する言葉だったからだけでなく
その一言によりCさんが私のことを軽蔑しているという事実が私に伝わってしまったからだ

どんな理由があろうとも
人を軽蔑することは、人としてしてはいけないことだと私は思うし
軽蔑という最低な行為をされて嬉しいと感じる人もいないと私は考えている

では、なぜCさんは、私のことを軽蔑したのか

そして、なぜ、Cさんが当たり前のようにできていた「宿題を期限以内に提出する」という行為が私にはできなかったのか

おそらく理由は
Cさんと私が置かれていた家庭環境が水と油ほどに違っていたからなのではないかと思う

正直にいうと
中学時代の私は、恵まれた環境にいるCさんが言葉にならないくらいうらやましかった

例えば
部活動の大会のとき

Cさんの母親は、必ず娘の応援のために会場まで足を運び、Cさんが試合で勝ったり負けたりする度に、喜んだり悔しがったりしてくれていた
そして自分の娘だけでなく私やほかの子どもたちにも優しく声をかけ気遣いをしてくれた
Cさんの母親は、教育にも熱心で、学校でテストが終わる度に、テストの結果を参考に娘に指導やアドバイスをしていた

一方、私の母親は
そもそも自ら娘の学校行事に参加するタイプではなかった
たまに私の部活動の大会を見にきたときも
応援するどころか
私に顔を見せることもなく一瞬だけ会場に立ち寄ってから去っていき
後日自宅で、大会でチラ見した私のかっこ悪い姿をあげつらって私のことを否定する発言を繰り返した
さらに熱心に部活動に通おうとする私に水をさすように、私の母親は私に無断欠席を勧めてきたり、実際に休ませてしまったりすることが度々あった
私が早朝に母と喧嘩し、学校や部活動の練習に遅刻することも一度や二度ではなかった
また私の母親は、私の成績に興味を持ってくれることも、関心を寄せてくれることもほとんどなかった
あるとき、私が学校のテストで高い点数を取り、母親に知ってほしくて玄関を上がってすぐの場所に成績表を置いておくと
私の母親は帰宅した瞬間に「成績表」を「ゴミ」かなにかのように認識したらしく、「部屋を散らかすな」と激しく私のことを叱った

Cさんと私では
そもそもスタートラインが違う

Cさんにとっては
部活動に参加することも、宿題を終わらせることも、当たり前にすることだったのかもしれないが

私にとっては
部活動に参加し続けることも日常的に宿題に取り組むことも、母親との格闘の末でなければ手に入らないことだった

結果だけみれば

宿題を期限以内に提出し、部活動も頑張っているCさんと
宿題を期限以内に提出せず、部活動にも参加しない私と
捉えられてしまうのは分かっていたけれど

当時の私は、部活動に足を運ぼうとしているだけでも、遅れてでも宿題を出そうとしているだけでも、褒めてほしいと思ってしまうくらい自分では頑張っているつもりでいた

私だって頑張っていないわけではない

だから余計にCさんから言われた
「同類になりたくない」
という一言が悔しくてしかたがなかった

そして
さらに付け加えると

先程私の家庭環境を説明する際に
私は、私の母親がまるで極悪非道の人物であるかのように書き連ねてしまったが

私の母親にも、Cさんの母親に負けないくらい
いや、私にとっては、誰にもかわりがきかないほどに
いいところがいっぱいある

実は、私の母親は、小学校の頃から働かなければならないくらい、私よりももっと恵まれない環境で育ってきた
恵まれてる人の基準で考えると私の環境はかなり厳しい状況ではあったが
働かずに学校へ行き、部活動に励むことができるだけでも
私には有り難いことだし
それは私の母親が、必死の想いで頑張り続けてきてくれたからこそなのだ

だから
なんの事情も知らない人に
「同類になりたくない」なんて
軽蔑されるのは
私にとっては屈辱だった

大変長い記事になってしまったが
今回、私が自分の家庭環境について赤裸々に綴ったのには理由がある

実はいま、この日本で
子どもの貧困が増え続けている

時代は進んでいるはずなのに

私や私の母親のような家庭環境の子どもや、さらに恵まれない環境の子どもたちが急激に増えている

「貧困」は、本当に「社会的ないじめ」だと、私自身も自らの体験から痛切に感じ続けてきた

同じ年代に生まれ、同じ地域で、同じ学校で育ったのにも関わらず
親の経済状況により、それぞれの子どもに与えられる環境には
大き過ぎる格差がある

私が今回の記事でどうしても伝えたかったのは
「貧困」は簡単に解決できる問題ではないけれど
一人ひとりにできることがなにもないわけではない
ということ

例えば

恵まれない環境でも頑張っている人を差別しない
経済的に厳しい中でも努力している人の頑張りを認める

「貧困」そのものの解決はすぐにはできないけれど
上記のように、心の持ち方ですぐにできることだって
たくさんある

お願いだから
どんなに優れている人でも恵まれていない人でも
心だけは「貧困」にならないでほしい

もしもあなたの心に
ほんの少しでも「ゆとり」があるのなら
軽蔑の目を使う回数を減らし
優しい眼差しを周囲に向けて
行動してほしい

それが「貧困」や「いじめ」の連鎖の消滅に
いつか絶対繋がるはずたから

By 茶子くん