【秘密結社】izimedarake

いじめに関する記事を書いています

嫌われることで負った傷跡と付き合っていくために

なぜ私は愛してもらえないのだろう

なぜ私は嫌われなければならないのだろう

高校時代、担任の女性教師に嫌われていた私はいつもこんなことばかり考えていた

なぜ、なぜ、なぜ

答えは出なくても
涙は出た

水滴が頬を伝って落ちていくのを感じる度に私は自分が担任の女性教師に本当は愛されたがっていたことを痛いほど感じた

私は担任の女性教師と適度な関係を築くことができないまま高校を卒業した

愛してもらえないのなら
愛する側にまわればいい

それが当時10代だった私が導き出した結論だった

だからこそ、高校時代も高校を卒業してからも、私は人を褒めることを頻繁にした

自分がしてほしいと望んでいたことを
他人に施すことで
私は寂しさを紛らわしていたに違いない

私がそのことに気づいたのはつい最近のことだ
それまでの私は自分が寂しさを埋めるために誰かを褒めていることにすら自分でも気づいていなかった

もしも当時の私と同じように
誰かに愛されないことで
悩んでいる方がいるのなら
どうしても伝えたいことがある

誰かに愛されないからといって
自分で自分を愛することをやめないで

ほかの誰かを愛するエネルギーを
ほんの一部でもいいから自分自身に注いであげて

きっと
なぜ愛してもらえないのか
なぜ嫌われなければならないのか
といった答えのない問いをしているうちは
自分で自分を愛することはできない

自分が愛してもらえないのは愛される資格がないから
自分が嫌われるのは嫌われるべき行動をしているから
そんな答えを自分で認めたくなくて
もがき続けるだけになってしまうのだと思う

だからいっそ
そんなことは考えなくていい

考えなくてもいいから
行動してほしい

まずは自分自身に対して
自分を愛すること、自分を嫌わないことをしてほしい


嫌われることで負った傷跡は
簡単にはふさがらない


それでも
自分のためにひとつずつ行動していくことこそが
傷跡に対してできる唯一の行動なのではないだろうか


いまも傷跡と向き合い続けている私はそう考えている

By 茶子くん