【秘密結社】izimedarake

いじめに関する記事を書いています

【問題】いじめの数はいくつ?〜いじめ、いじめ、いじめ〜

「いじめ」という言葉の意味について
誰かに教えてもらった記憶はない

気がついたときには
それがどのような意味を持つのか
分かっていたからだ

なぜなのだろう

それはきっと「いじめ」という言葉が
意味するであろう行為に
何度も遭遇したことがあるからだ

幼い頃に好きだった絵本やアニメの中にも
「いじめ」という言葉で表現される行為が繰り返し登場してきていた
たいていの物語の中では「食べる」という行為よりも、「いじめ」と表現される行為のほうが、時間をかけて描写されていた

「いじめ」という言葉の意味を誰かに尋ねた記憶がない人は私だけではないはずだ

それほどに、私たちの社会には「いじめ」という言葉が意味するであろう行為が溢れている

それなのに
私は「いじめ」には難しい定義があることを高校生のときに知った

なぜ「いじめ」に難しい定義があるのか
それはいじめの数を数えるためだ
いじめは
1件、2件というふうに数えるそうだ

私は驚いた
それまで私が出会ってきた人たちは「いじめ」という言葉を使うとき

「私は一度もいじめにあったことがありません」
「私はこれまで三回ものいじめを経験しました」

というように「度」や「回」といった言葉を使って数えていたからだ

私は憤りを感じた
なぜなら
私がその当時に受けていた行為が「いじめ」であると周囲の大人たちに認めてもらえなかった理由に気づいたからだ

「いじめ」に難しい定義があることにより
当時私が受けていた行為は「いじめ」1件とは数えてもらえなかったのだ
いじめの辛さに
大人たちに理解してもらえない辛さまで加わった

そもそも
「私はいじめの経験が2件あるんだよね」
というような数え方ができるのは
教師や弁護士、カウンセラーなど
「いじめ」を外側からみる人間に限られているのではないだろうか

いじめにあっている小学生は
「僕は1件のいじめに悩まされています」
とは言わないはずだ

「件数」と表現している限り
どんな言葉で定義をしたとしても
当事者の立場に立とうとする気すらないことが
伝わってしまうだけなのではないだろうか

いじめ、いじめ、いじめ

毎日その言葉が示すであろう行為が繰り返される場所に通うことがどれほど私にとって苦痛であったことか

辛い、苦しい、もう嫌だ

当時の私の頭の中は、こんな感じだったはずだ

いじめ、いじめ、いじめ

いっそ辞書から「いじめ」という言葉をなくしてしまえばいい

「いじめゼロ」、「いじめ撲滅」と唱えれば唱えるほど
「いじめ」という言葉の必要性と説明文の長さが増していくことに
言葉の使用者たちは気づいているのだろうか

いじめ、いじめ、いじめ

なぜ私はこんなにも「いじめ」という言葉を嫌っているのに
いじめについて熱心に記事を書いているのだろう

それはは私が
この「いじめ」という言葉に
心から感謝もしているからだ

「いじめ」という言葉には
人をひとつにする力がある

いじめ、いじめ、いじめ

「いじめ」で悩んでいたとき
「いじめ」という言葉を使ったからこそ
「いじめ」で同じように悩んでいる仲間と出会うことができた

「いじめ」だらけのこの社会

「いじめ」をゼロにすることも
「いじめ」を撲滅することも
「いじめ」を辞書から消すことも
きっと私たちにはできない

「食べる」という行為をせずに生きていくことができないように
「いじめ」という行為をせずに生きていくことはできない

どうせ「いじめ」と付き合っていかなければならないのなら
それは、とびきり楽しいほうが絶対にいい

「いじめ」は私に
辛い、苦しい、もう嫌だ
を乗り越えるための
勇気と行動力、そしてなによりも大切な仲間を与えてくれた

「いじめ」があったからこそ
私は幸せになれた

「いじめ」がなくなることがないのなら
「いじめ」だらけの社会を受け入れた上で
幸せになってしまえばいい

そんなふうに「いじめ」を受け入れた上で幸せになっていける人が一人でも増えていくような社会を実現するために
私は秘密結社izimedarakeを設立した

このブログを通して私自身も
いじめとも、自分とも、社会とも向き合っていきたい

そしていつか
私も答えをみつけたい

なぜ「食事」の場面よりも
「いじめ」の場面のほうが
人の心に響くのか

その答えがみつかる頃には
きっと「いじめゼロ」も「いじめ撲滅」も必要なくなっていることだろう

「いじめ」が「食事」以上に
一人ひとりの人生を豊かにする力を発揮することもあるのだから

By 茶子くん