【秘密結社】izimedarake

いじめに関する記事を書いています

「認める」って難しい

元の会社に戻り色んな意味で疲れを実感する
この頃です
相変わらず一難去ってまた一難という毎日を
送っています

さて今回は仮に加害者まではいかなくても
加害者たちが「いじめる理由」に
自分自身が遭遇したら
親しい親しくない関係なしに
「認める」ということも一つの手ではないかと
思うようになった私の心境の変化について
報告しようと思います

私に心境の変化が起こったきっかけは
一度出た今の会社です
いじめの戦場で過ごすうちに
もう一度考えを深めてみようと
思うようになりました

今日まで「いじめは悪だ」と説いてきたわけですが
改めて「いじめは悪だ」と説く資格があるかどうか
見つめ直したいと思います

例えば
すれ違いざまに嫌みを言われたとします
一応私も人間なので
攻撃する側の嫌な面が見えると
「何あいつ」と思ってしまいます

いつもは嫌みを言われても
憎しみしか
浮かべませんでしたが
今回は相手の視点から考えてみようと
思います

すると
少なくとも憲法では
相手側にも「表現の自由」や「人権」が
保証されていることに気づきます
そこで考え直しました

完璧な人間はいないからこそ私自身
攻撃されてるからと言って
攻撃する側に対して
極端に苦手意識を持ってもいいのだろうか

正直散々ダメージを落としてくれた相手なんて
認めたくありません

そこで想像してみました
自分の好きなもの
自分の存在
などを全否定されたときのことを

自分の存在はともかく
関係ない好きなものまで貶められたときは
私も腹立った覚えがあります

でも腹だったからという理由で
自分がされて嫌なことを相手にも同じことをしたら
自分も同じ人間になってしまいます

私の頭は、攻撃する側に対しては「苦手」という意識で埋まっています
しかし相手の「良い面」を見る20%の気持ちを持つことも
大事だということが分かりました

ここにいる仲間のおかげで
私は少しずつ
そう思えるようになりました

まだまだ20%ですが
どんな攻撃を受けたとしても
笑顔でかわせる人になりたいです

以上
「認める」ことは難しいと感じる
ケルトンでした